RIVALS EYE【第六節:D地区】

RIVALS EYEとは

ライバル達が熱いホンネをぶつけ合う

30リーグ参加団体による公式戦の観戦リポートです

今回は第六節『遊撃!浪漫派FAMILIAR×[フキョウワ]』を

D地区がレポート

はたしてライバルはこの試合をどう観たのか?


【D地区観劇レポート】


遊劇!浪漫派FAMILIAR『FAMILIAR AGAIN』

遺品整理業者の民子の元に届いた、一通の手紙。

依頼者の家を訪れると、そこに居たのは、かつて自分が捨てた娘の奏。

手紙の差出人は、その娘を愛した育ての母、沙織でした。

今年の春先に伯母を突然亡くした私は、今も鋭意遺品整理中の身ということもあり、興味深く観劇しました。

『整理』と言っても、検分した持ち物の、そのほとんどは、捨てていくことになります。

そうしなければ片付かないからです。

しかし、そうと頭では分かっていても、生きた伯母の欠片を消していく作業に、段々と心が沈んできます。

そんなとき、会話しながら共に作業をする人が居る、というのはとても心強いことです。

従業員の結衣が、奏と遺品整理をするシーンがあります。過剰に励ますことなく、自分の身の上話をしながら、奏の気持ちに寄り添う彼女は、この物語における心の拠り所のように感じました。

また、遺品が散らばる部屋は、奏の心の葛藤を表しているように見えました。物語が進むにつれ、舞台転換上で整理され障害物が無くなっていく様も、奏の心の中を可視化しているようで、ラストシーンにうまく繋がっていったように思います。


フキョウワ『echo "anger" ;』

絞った照明演出によって、役者たちが空間に浮かび上がり、舞台と客席を意識することなく作品に入り込んでいけました。

その一方、まるでテレビゲームのキャラクター選択の画面でも見ているような、どこか奇妙な心持ちでもありました。

駅構内、職場、学校、家庭など、我々の日常に置き換えることが出来そうなシーンの合間で、登場人物たちに呼び掛ける「ヒツジニンゲン」なるものが現れます。

自身を正当化するため御託を並べる人間たちに、

そんなことはいいからさ、踊っちゃいなよ!

と、冒頭で見たダンスシーンが、何度も何度も繰り返されるのです。私はだんだんそれがクセになっていました。

踊るって何だろう。

神と交流するための祈りや願いを通じた儀式が起源と聞いたことがある。

人格を放棄し、精神が非日常の世界に入る状態が「踊る」。

じゃあ、現代における「踊る」って何だろう。

目的や結果なんてどうでもよくて、今はその過程だけが全てだから、あのような、暴力的な強制終了のラストシーンになったのかなあ、と思いました。


両団体とも、最後まで観客の気持ちを切れさせない演出が光る、2作品でした。

お疲れさまでした。


文責:津熊 海琴(D地区)


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