RIVALS EYEとは
ライバル達が熱いホンネをぶつけ合う
30リーグ参加団体による公式戦の観戦リポートです
今回は第二節『演劇ユニット衝空観×遊撃!浪漫派FAMILIAR』を
[フキョウワ]がレポート
はたしてライバルはこの試合をどう観たのか?
【[フキョウワ]観劇レポート】
30LEAGUE(火リーグ公式戦)第二節
演劇ユニット衝空観×遊劇!浪漫派 FAMILIAR』
2023年4月26日(火)18時回
【総評】
両団体とも、それぞれの団体の色合が滲み出た作品で面白く拝見しました。同じ「死」なる
ものを扱いながら全く違う印象を与える両作品で、その点も見応えがありました。その色合い の出し方、いかに要素をうまく配置できたかが分水嶺になったように感じます。
【先攻:演劇ユニット衝空観「セミロウ」】
吉野弘の「I was born」の朗読から始まる本作品。「産み落とされた」という言葉を手掛かりに、生きることの意味や生の理不尽さなど、詩にインスパイアされたであろう内容が良く伝 わる上演であったと思います。蝉と蜻蛉のメタファー(やっと外に出てきたのに理不尽な状況 に置かれる蝉とそもそも生きる目的とは何か、という疑問にさらされる蜻蛉、といった印象で した)もよく効いていたと思います。また、単語レベルでの二人の応答は、詩的なニュアンス とリズムを生み出し、その点も、「I was born」という散文詩の関連性を強く感じさせる効果 を生んでいたように思います。
一方で、個人的には作品から空間的、心情的「広がり」が感じられないように思いました。二人の登場人物の状況や思いは逐一言語レベルで伝わってくるのですが、なぜそのような感情になったのか、言葉の裏にある思いや、語っている内容の情景が今一つ想起されない。特に、 今から死なんとしている人間が、見ず知らずの人間に、いきなり身の内話を曝け出してしまう その初手にも大きな違和感を覚えてしまいました。(読み取り不足かもしれませんが、話せる 状態になるだけの理由が見えてこない。) 詩的なやりとりも、二人の浅い関係値という面から は違和感の材料になってしまっていた(旧知の仲であるような印象を与えていた) ように思い ます。(もちろん、ある根底の部分で二人は通じ合っていた、と取れなくもなかったですが)
適当なことを書くと、いっそやりとりを解体して詩的な部分に振り切って、二人の属性も排してしまって、なんならもはや、二人は蝉と蜻蛉ということにしてしまって、というところま でぶっちぎるか、あるいは、二人の影響関係が見えるようなところまで内容を絞ってしまう、 そういった作品も見てみたいと感じた次第です。
【後攻:遊劇!浪漫派 FAMILIAR』「ここにある彼方」】
それぞれの要素が上手くかみ合い、一つの作品として完成度の高いものになっていたと思 います。「姿が見えない存在が、ある人には見えている」、「誰かと誰かの中身が入れ替わる」 といったギミックは古典的によくある手法ですが、よくある手法だからといって、それを面白 いレベルで提供できるわけではない。むしろ、上手く調理するのは非常に難しい。けれど「こ こにある彼方」はそういった部分をうまく用いて、良い効果を生むことに成功した作品であっ たように感じます。特に、入れ替わりが生じた際に、彼方さんに壮馬さんの姿が、壮馬さんに 彼方さんの姿が想起されたのが非常に良かった。想起することで、当人がその言葉を語ること では生じない複雑な感情が観る人に流れ込んできたように思います。入れ替わることでのす れ違いコメディ要素や、入れ違っている状態だからこそ話せる内容(娘が「お父さんに認めて もらわないとダメなんだ」といった台詞は、お父さんには面と向かっては言えないが、そこに
お父さんの姿がないからこそ言える秘めた思いであったと感じます)、そのあたりもうまく配 置されていて、お見事、と感嘆しました。
演出面も、中央に置かれたテーブルと仏壇(を想起させる小机)が、そこからの空間の広が りを感じさせる面で良い仕事をしており、部屋、および、「その中心を起点に彼方さんが存在した」ということを感じさせる装置としてうまく働いていたように思います。
入れ替わりや霊的存在が見える過程は多少ご都合的な部分もありましたが、その部分が大 きな問題として生じないレベルで、笑いや想像性が上手く配置されており、前を向いた家族とそれを見守る彼方さんのラストシーンは、しっかり哀愁を感じさせるものであったと思います。余談ですが、育ての親としての瞳さんのエピソードやフィアンセの心情部分など、描ける 要素がまだ存在し、70分くらいの作品としても見てみたいように思いました。
演劇創造ユニット[フキョウワ]:下野佑樹
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